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私は、やらなくていい

現在の私はリハビリ職員だが、入職当初は介護職員だった。

私の出発点には、介護がある。





スタートは大切だった。

今でもリハビリよりも、介護に関心が強い。

リハビリに魅力がない訳ではない。

介護の魅力がそれを大きく上回っているのだ。






もし介護経験がなければ、今の私ではなかった。

想像すると・・・想像できない。

私の人生は「介護」があって、はじめて成立しているのだから。







そんな人間なので、“よい介護”をしたいと思った。

リハビリでありながら、“よい介護”をしたいと思った。






しかし、最近はそうでもない。

「私は、やらなくてもいい」と思えるようになった。





理由は・・・

介護職員を信頼できるようになったから。

自分だけの役割を大切にするようになったから。

今のケアが好きになったから。






少し前までは、今よりずっと狭量だった。

自分を肯定するのは、簡単だ。

相手を否定するのは、もっと簡単だ。

それは何も生まなかった。






お年よりは生きている。

私たちが必死にならなくても、大丈夫。

だって、生きているんだから。




その方が、ずっと“よい仕事”ができる。
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変えたい自分、いますか?


自分を変えたい瞬間がある





「もっとこうしたい」

「このままじゃダメだ」

「20年後こうありたい」



 

ただ漠然と変わりたいと思っても、
人は変わらない




思うだけ変わるほど、
世界は簡単じゃない




今までの行動習慣は
あまりに根深いから




自分で自分も変えられないのだから、
他の誰かを変えることはさらに難しい




変えよう考えている内は
人は変わらない







でも、変われている人がいる 





それは、
変わる大切さに気づいた人




それは、
行動習慣を具体的に変えた人







かくいう私は、
現在変わる必要性を感じていない





でも、変わるという体験自体を、
体験してみたいと思った





具体的に変えた行動習慣は、
朝10分早く起きるということ





ほんのり些細なこと






そうしたら、

服が選べるようになった

ご飯を噛むようになった

朝刊を読むようになった

道をゆったり歩くようになった




10分で、
今までしてないことが、できるようになる


10分で、
人生が華やぐ




なるほど、
行動習慣を変えるという意味に、
はじめて気づいた





気づいたことは、
はじめて言葉にできる

もう死ぬかと思ったわ

今日、利用者さんがベッドから落ちた

私の施設ではベッドからの転落は珍しくないが、落ち方がひどかった





①床に倒れている利用者さん

②頭には大きすぎるタンコブ

③ベッドに柵はしてある

④「頭から落ちたのよ~もう死ぬかと思ったわ」





①~④より、どんな事故を推測されるだろうか?





真実は(・・・1つとは限らないが)

「柵を乗り越えて、頭から床に降りた(落ちた)」と推測




事故対策は、

「低いベッドに変更して、さらに床にマットを敷く」

「それでも駄目なら、畳ね」






現状の事故対策は『状況への対処』に留まっている

もちろん必要な事故対策だが、なぜに降りた?






・・・想像する

家に帰ろうとした?

トイレ?

そこに柵があったから?

みんなの所に行こうとした?






浅い浅い、別にどんな理由でもいい

そもそも、ベッドは降りるものだ






・・・ひたすら想像する

降りたいけど、なぜだろう、思うように体が動かない

でも降りないと

必死に、柵に掴まった

でもなぜだろう、ぜんぜん体が起こせない

それでも頑張って、両足を降ろせた

よし!

もっと頑張って、柵の上に頭と上半身が乗った

もっと頑張って!もっと頑張って!・・・気づいたら



痛い

すごく痛い

こんなはずじゃない

私がこんなことになる訳がない

痛い

誰か助けて

誰か来て

助けて

痛い




想像することしかできない

私はあなたのリハビリをしているけど、わからないよ

そんなに笑っているけど、本当に大丈夫なの?







生きるって大変?

歳をとるって、やっぱり辛いこと?

でも、私たちはいるよ

ずっとは一緒じゃないけど、明日も来るからね

第8回東海・北陸老健大会~2日目~

5月18日、老健大会2日目に参加した

2日目は発表者として、
『介助技術』の話をさせて頂いた

自分の知識の中で、言葉にできているテーマだ




結果は・・・「うん、良かったよね」


手前味噌になるが、
満足のいく出来だった


会場の雰囲気が、そうさせてくれた


伝えたい「想い」は伝わったと思うので、上々だ



①介助技術だけではなく、
②発表のあり方に関しても、茶々を入れられたと思う

・・・良い意味でも・・・悪い意味でも^^;


何をしたか気になる方は、ご一報ください
私のチャレンジを詳しくお伝えします〇





嬉しかったのは、

①してほしい質問を、狙ったようにしてくれた方がいたこと

②発表の後に、声をかけてくれた方がいたこと

・・・嬉しかった


自分が嬉しかったことは、ぜひ誰かにしたいと思う

発表で、それを気づかせてもらった

ありがとうございます






この2日間を通して、気になった方には名刺を配らせてもらった

いきなり不審者に声をかけられて、さぞかし困惑された方もいただろう

でも、ご縁があれば繋がっていくんじゃないかな

何名と繋がれるか、楽しみだ

こういう楽しみ方も、ある方から教えてもらったことだ








教えられて、気づき続けていけばいい

教えられる、素直な人間であればいい

第8回東海北陸ブロック老健大会

今日は名古屋国際会議場で開催されている、老健大会にきている

今日第一日目は聴講者として、
明日第二日目は発表者として

一日聴講した感想としては……

「もう疲れたわい」






全体的に、発表者のネタが尽きた感がある


どれもどこかで聞いたことがある内容




うーん

残念だ

もう少し楽しみたかった




勉強会にいけば毎回なにかしらの気づきや刺激が得られるのだけど、
今回はごくごくわずかだった
 
これを延々繰り返してたら、
老健の対外的批評も気になる

勉強会や研修が盛んなおかげもあるのかも知れないが、ちと危機感




発表者の中にはいいもの持ってる方がいる

しかし、限られた6分の発表時間では、
それは参加者に伝わりきっていない

せめて思いを伝える為に、
10分ほしくないか?

時間短縮はわかるが、
時間がなければ達成できないこともある

「時間の価値観」は
ケアにとっても非常に大切だ





かくいう私も、明日は見られる側

たっぷり批評してほしい

もっと生き活きニコニコな大会にしたい

明日は挑戦だ

60歳年上からの、人生啓発講座



仕事に元気がついてこない



常に高いモチベーションを保つのは大変なことだ



そんな時には決まってやることがある



①早く帰って寝る



②勉強会でエネルギーをもらう



③人に相談する



今回は、③を選択してみた



私の相談相手になってくれたのは60歳年上の女性だ











「仕事の前に、少し散歩しませんか?」



その声かけで、私のリハビリとしての1日ははじまる



私は田所さん(仮名・97才女性)と一緒に、毎朝施設内を散歩する


新しく施設に入所された田所さんは、認知症だ











介護主任は、ここの社長



田所さんは、社員



私は、現場監督



田所さんの認知症は深い













しばらく歩くと、お互いに少し休みたい雰囲気になる



適当なベンチに座り、何もしない静かな時間を楽しむ













「最近、元気が出なくて・・・」



『お仕事大変なの?』



田所さんは、びっくりするくらい察してくれる



・・・5分後、私は笑顔いっぱいに田所さんとの散歩を再開する













出来事を言葉にするのは難しい



どうしても陳腐になってしまう



でも、本当に大切なものは、二人だけのものだ













『気持ちってのは、気の持ちようなのよ』



『人生は上がり下がり。そのままでいいの』



『2つ目をやっちゃだめ。1つだけ熱心にやるの』











どんな人生啓発の言葉より、アラ100の人生訓は深い



私がほしい言葉をくれる



ありがとう













介護系の講座で、お年寄りの話をしない講師はいない



お年寄りの話は、心が動く



講師も受講者も、お年寄りから学ぶ



裏を返せば、お年寄りからしか、学べないのではないか??

人を変えないという決断



入職当初、私は現場を変えたくて仕方がなかった



理由は単純



現場で利用者さんに提供されるケアが嫌で仕方がなかったから









私たちがせっせとケアすればするほど、



利用者さんの生活が幸せから遠ざかっていくようで、辛かった



その頃は、利用者さんが不幸に見えていた



今思えば、失礼な話だ











「現場を変えるには、職員を変える必要があるぞ!」



「職員を変えるには、現場のリーダーを変える必要があるぞ!」



「リーダーを変えるには・・・っ!」



そんな感じで、とにかく人を変える為に必死だった











・・・結果、現場は変わらなかった



今にして思えば当たり前だとわかるが、当時は辛かった











もう仕事をやめようと思った



現場を変えるのではなく、自分が職場を変えれば良いと思った



毎日カレンダーに×印をつけて、現場を否定することで自分を維持した











「人を変えようとしている内は、人は変わらない」



それに気づいたのはいつだったろう?



最近の気もするし、少し昔だった気もする



一気に気づいたよりも、少しずつ気づいた気がする















「人が変わろうと強く決断したとき、人は変わる」



それに気づくまで、ここまでかかってしまった



たくさんの方に迷惑をかけ、気づかせてもらった



本当に感謝している















職員を受け入れて、はじめて職員全員が必死に仕事をしていることに気づいた



提供されるケアを受け入れて、はじめて利用者さんの顔がしっかり見えた



利用者さんも、職員も、「人生を生きている」ことに気づいた













人が成長するのは、「人が変わろうと決断したとき」



私が成長したのは、「人を変えないと決断したとき」











『考え方を変え続けていけば、人は生涯成長し続ける』











人生は楽しい



年をとることが、少し楽しみになること、ありませんか?

だって、認知症だからね


苦情委員会というものがある



お年寄りや家族の苦情に対して、対策を講じる委員会だ



サービス業界で考えれば、苦情対策は欠かせない



今年度からこの委員会に所属した









・・・苦情



山ほど聞いてきた



苦情というより、率直な気持ちといった方が良いと思う



「早く入れ歯を返してよ。」



「勝手に部屋の鍵を閉めるな。」



「今日はお風呂いやだ。無理に入れるな。」



「出口が見つからない・・・家に帰りたい。」



「ここには泥棒がいる!もう二度と来るか!」



・・・すいません。



・・・本当、苦労かけるね。



・・・ごめんね。











これは苦情?



これはお年寄りの素直な言葉。



わざわざ聞かなくても聞こえてくる、訴え。













しかし、委員会ではこれを苦情として扱わない。



なぜか?















「当たり前だよ。だって、認知症だからね。」













久しぶりに、心が揺れた。















苦情とは、なんだろう?



認知症とは、なんだろう?



ケアとは、なんだろう?











講釈をたれたくない。



熱くなって、熱くなりすぎて、やけどしたくない。



でも・・・当たり前。



お年寄りの話を真剣に聞くのは・・・当たり前。















苦情委員会は、施設のリスクを回避する為に活動する委員会である。



・・・わかってる。















認知症の訴えは、仕方ないものである。



・・・わからない。















素直な気持ちを、言葉にしよう。



訴えよう。











いまは、まだここ。



まだまだ、いる必要がある。

リハビリ職と呼ばれるものたち。

私はリハビリ職である。

リハビリ職とはなんであろうか?

理学療法士

作業療法士

言語聴覚士

以上が、いわゆるリハビリの代表的な3職種だ。

6年前、私はその中の作業療法士になった。





作業療法士とは何か?

この問いに、どれだけの方が答えられるだろうか?





・・・渦中にある作業療法士自身が、その答えを探している。

作業療法士同士で「作業療法士ってなんだろうね?」

そんな会話を一日中していられるのだから、

作業療法士の存在意義が厚労省から問われているのも、当然な気がする。





私の中では、現状の答えがでている。

それは 「なんでも屋」 であるということ。

・・・誤解があるだろうか?






あなたが求めていることを、なんでもやる。

私は、なんでもできる。

でも、本当は一人では、何にもできないこともわかってる。





現状で、私の姿を適切に表現するとすれば、これが良いと思う。





さて、なんでもできると豪語する限り、求められる治療技術もある。

治療に関して、私の敬愛する研究会の会長が、

ブログの内容を日本中に広めるようにお触れを出した。



当然、広めようと思う。

それは、会長を尊敬しているから。

私がこの行動をするのは、会長の力だ。



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これ持っていって

「今日死んじまうからこれ持っていって」
ティッシュペーパーに包まれた「これ」を指差しHさんが僕に言った。Hさんは随分前から自らの意思で食べることを止めていた。だから実際、いつ亡くなってもおかしくない状態だった。ろくに水分も摂らないから声も枯れていた。
「今日死んでほしくないから持っていきません。もし亡くなったらその時に頂きます」
僕はそう言ってHさんの申し出を断った。いつものように何を話すでもなく、手足のマッサージをしながら一緒に過ごす。こんな時間がもう長くは続かないことを僕も解っていた。結局、その日Hさんは死ななかった。

Hさんはよく職員に手紙を書いた。僕にもたくさんの手紙をくれた。旦那さんを戦争で亡くしたこと、女手一つで二人のお子様を育てたこと、その途中、二男は木から落ちて死んでしまったこと等、Hさんの人生が綴られていた。そして、最後にはいつも「我が子のように愛しい大助さんへ」と書かれていた。
返事の手紙で僕が「他人からの評価ばかり気になってしまう」と書いた時には「暇だからだよ。」「本当に一生懸命になったら他人の評価なんて気にしている暇はなくなるよ」「ツマラナイことを気にせずに一生懸命になって笑って生きなさい」そんな素敵な言葉を贈ってくれた。
クリスマス会では、パンツ一丁で踊る僕を見て大きな口を開けて笑っていた。普段は温厚なのに頑固なところがあって、いつも一緒にいたIさんと喧嘩して…結局仲直りをしないままだった。

「今日死んじまうからこれ持っていって」…そう話した三日後にHさんは本当に亡くなった。まるで眠っているかのような穏やかな御顔をしていた。枕元には、ティッシュに包まれた「これ」が置かれていた。僕は相談員に事情を話し、約束通りに「これ」をもらった。今回も手紙だと思っていた。最期の手紙だなと思いながらティッシュを開けた。
「覚えていてね」そんな言葉を言われた気がした。今でも「これ」は僕の家の本棚に大切に飾られていて、相変わらずツマラナイことを気にしてしまう僕を見守り叱咤激励してくれる。

ティッシュに包まれていた「これ」は、Hさんのとびきり笑顔の写真だった。
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